「匂」…思い出と歴史に深く刻まれ

2007_0912

「匂」…思い出と歴史に深く刻まれ

写真:桶風呂


 視覚を補強する眼鏡、聴覚を補強する補聴器は開発されているが、嗅覚を増強するモノは見あたらない。現代の暮らしでは、嗅覚はあまり必要とされず、無くてもそれほど問題なく暮らせるということであろうか。私自身も鼻がよく利く方ではないのだが、そう困ったことに直面することは無い。

 しかしながら、体臭対策や口臭予防といった脱臭的な商品はドラッグストアの店頭に多数並んでおり、匂いそのものが敬遠される傾向である。突き詰めれば、何だかのっぺりとした無味乾燥なキレイな空間が求められているのだろうか。ただ、匂いの記憶をたどってみると、けっこう強烈に身体の中に残っている。お寺の線香の匂いや、魚臭い市場の匂いなど、五感の中でも匂いの思い出は強く刻まれているのではないだろうか。古民家やアンティークといった昔のモノへの郷愁も、もしかしたら歴史が醸し出すほのかな匂いにも魅力があるのかもしれない。

 風呂好き民族とされる日本人も、昔はそれほど頻繁に風呂に入っていたわけではなく、ご近所と「もらい風呂」をしあって燃料を節約し、たまに入る程度であったらしい。平安時代の貴族でもあまり入らず、十二単衣(ひとえ)などを着たとしても体臭などが強く、その匂いを隠したり自分であるという匂いを残すために香を焚くことが発達したという。昔はもっと汗臭く、体臭がきつかったのだろう。

 日本の風呂の原型とされる石風呂や窯風呂は、洗うというよりも治療や療養としての意味が強かった。那賀町(和歌山県)の飯盛山荘にある窯風呂にはいったときも、ヨモギを敷きつめた上にムシロを敷き、下から燻す形式の蒸気風呂であり、そのむせるような空間で、モワっとしたヨモギと汗の匂いに身体全身が包まれる感覚であった。頼りない裸電球がひとつだけあるほの暗い空間は、風呂というよりは、洞窟内の行に近いと感じられる。まさに燻製のように、身体へ匂いがすり込まれたようにも感じた。

 そして、先日、念願の桶風呂に入る機会を能登川博物館で得た。桶風呂とは、滋賀で昭和40年代頃まで使われていた、少量の湯を沸かし、桶に笠や蓋をして蒸気で風呂桶内を温める、半蒸半湯浴の風呂である。水や燃料を節約して肥料生産もできる「環境にやさしい」風呂でもある。能登川博物館所蔵の桶風呂を使わせていただき、実際に沸かせて入らせてもらった。人ひとり入る程度の大きさで、あぐらで座ると、湯は腰下あたりに触れる程度である。扉を閉めると、やがて蒸気でムッとしてきた。何年も使い込まれ、磨かれてきたクレ(側板)が蒸気でしっとりと湿り気を帯びている。ほのかな木の香りと焚く煙の匂い、そして湯の匂いが身体を包んでくれる。きっと現役で使用していた当時は、木の強い香りとともに、何人も続けて入ることで垢まみれのどろどろとなる湯の匂いも重なり、独特の匂いに包まれる状態であったのではないだろうか。もしかしたら、自分や家族の体臭も確認することで、その健康状態も確認したのかもしれない。慣れ親しんだ匂いに包まれることは安心につながる。扉を開けたときは新鮮な空気が入り込み、顔だけ出すと、青い空が見えて爽快であった。

 もしも嗅覚増幅器があったら、数十年の時を超えて、延べ数百人という垢と体臭の歴史を桶風呂から嗅ぐことができるのだろうか。是非体験してみたいものだ。

ryujirokondo's trajectory

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