日々

南インドのオーロヴィルAuroville ですが、新しいチェアマンの就任依頼、かなりトラブルと問題が生起しているようです。

既に、Aurovilleの情報発信サイトも牛耳られたようなので、ちゃんとした現状の情報サイトをおさえていたのですが、url変更か無くなり、下記にありました。ご関心ある方はこちらをご覧ください。正規のAurovilleサイトは、まあ、そういうものとして見てください。

https://auroville.media/

↑上記をみると、Auroville archiveも住民の手を離れたとあります。私が以前にarchiveにこもって、過去史料や設立史料をいくつか撮影して持っているので、なにか必要なことがあるかもしれません。

いやいや、オーロヴィルの日本人、Michikoさん、Kenjiさん、友人知人のみなさん、どうされているだろうか。。。。心痛みます。が、きっとこれも進化への試練と受け止められているのかなあ。



ひさしぶりにここ記事アップしてみると、お知らせが。なにやら無料プランの制限があがるようです。ページやら画像上限が狭くなるようで、現行のままだと表示されないページや、もう画像がアップできなくなるらしい。。。

うーん。で、有料プランになると、年間1万円ぐらいらしい。ページ、画像無制限になるとのこと。うーん、とはいえ、そういったことに振り回されると、どうせ今後有料化がせめてくるので、やはりwordpress自作移行かなあ。

サーバー契約してかと。とはいえ、そんな気力があるかどうか。ダラダラしていたここも、気づけば140近い記事なので、これを移行するのも面倒だなあ。。。

となると、移行はあきらめて、過去blogとして残しておき、新しい(書く気ががあるのか?)サイトはwordpressで作るってことか。うーん、いまひとつ気が乗らない。むしろ最初に自サイトを自作していたhtml文時代がなつかしい笑。熊野古道五感マップなどもアップしていたのでか?データ保存してあったので下記が表紙。怪しすぎるな。

んー。そもそも、サイトをつくる意味があるのか自問しているので、さて、どうしたものかなと。イチからつくるぐらいなら、アウトソーシングしてつくってもらった方が早いのかもですが、巡礼遍路研究会サイトもjimdoで管理担当しているので、そちらも将来的にはwordpress移行かなと思っているので、ちょっとつくらねばかなあとも。

地方の写し霊場サイトで、しっかりきれいなwordpressで自作されているのを見ると、ああ研究会サイトももうちょっとしっかりせねばだなと思ったりもして。。。もうでもそんなの得意な方がやった方がはやいのではとも。。。。


ってことで半年ぐらい投稿があいてしまいました。まあ、生きてるのか?みたいなblogになっていますが。。。

今は、あまり依頼仕事は受けないようにしていて、断る強さ(笑)をもって、写し巡礼地などへ集中しています。出版社さんも決まり、ということで、単著の原稿リライトにいそしんでおります。前blogに書いたように、データの更新と、図表の作り直しをしています。

30年前に描いた図では、アナログで描いた図をスキャンしたというものすごいものもあったりして、それはコンバートできないので、新たに描いています。また、どうにも若気の至りで、ごちゃごちゃと描いた図も多いので、年齢相応笑に、スッキリとしたシンプルな図表に変更しています。

Excel2003は無事に動いているので、なんとかロータスデータをコンバートして、グラフもあらたに作成しなおしました。うっかり時間がたってExcel2003を忘却していて、一太郎でなんとロータスファイルを開けられるので、それで中身を確認したりしていましたが、なんともテキスト確認なので、不便きわまりなく。で、あ、っと思いだしてExcel2003を使うと便利。こんな流れです。
・ロータスデータをExcel2003で読み込む

・Excelフォーマットで保存

・wpsで読み込み、グラフとしてシンプル加工

・pdf変換

・変換したpdfファイルをillustratorで読み込んで清書加工

・jpg書きだし保存

といった手順です。まあ、時間はかかるのだけれど、綺麗にするのはまあ気持ちのよい作業ではあります。ちなみに、下記が書き直した事例。


そして、Designerで描いた図ですが、これは、オークションだったっけかなにかで、Corel Draw2021をまあまあ安く入手できたので、それをインストールしてコンバートしています。下記の流れ。

・DesignerデータをCorel Drawで読み込む

・Corel Drawで加工できればそれで。できなければai保存してillustrator保存してそっちで加工。

・jpg書きだし保存

といった感じでなんとかできています。もう花子で描いた図はさすがにあきらめかな。

いやしかし、図表とんでもない数なので、これ、いつ終われるのかな。また、写真選びもその後に作業として待っています。うー長い道のり。何冊も出している人ってどういう作業力なんだろう。

下記が書き直した事例。図にも時代性があるのかな。

写し巡礼のデータベース化プロジェクトも稼働しはじめまして、さてさてということで、嬉しい動きになっています。

と共に、過去の写し巡礼関係図データや施主データなどを再生させる必要が出てきました。データベース化するときに、石仏さんに必死になって読んだ金石文からの施主データなども使えたらと思っています。

そこで困ったのが、施主データですが、なんとなつかしのLotus123でした。しかも.wj2というかなりふるーいデータです。エクセルが幅をきかす前には123が著名でしたので。しかも、昔はマイクロソフト嫌いだったので笑。

どうやってこのデータを読むのかとあれこれ検索していますが、どうにも難しいよう。そこで、むかーしのnotePC winXP!<動いている! を立ち上げてみました。現在のエクセルやwps、riberofficeでもダメでした。そしてエクセル2003でなんとか読むことができました!。面倒だけれど。

そして、Adobe Illustratorの前につかっていた図を画くグラフィックソフトは、Designerというまたマイナーなソフトでした。これまたAdobe嫌いだったので。どうにも、メジャー路線は嫌いな性格だったようで、後日苦労しますな笑。DesignerはCorelに買収されて、Corel designeになっているようです。Illusratorにやむなく移動してからはそっちが使いやすくなって、この.dsfファイルは放置。がしかーし。そのためにも古いpcを残しておいてこのソフトDesignerが入っているため(だけ)に使用。ちんたら立ち上がったwindowsXP!でちんたらファイルをあけて、エクスポートできます。。。。

いや、この遅さよ。耐えられるかな。保存データを検索したら、.dsfファイルは372あった。372の図を全部変換するのに、このスピードは耐えられん。。

さらに。このふるーいnotePCが今日立ち上げたら、再起動を繰り返してたちあがらない。。。。さすがにメモリあたりやファンあたり、さらには起動ファイルあたりが問題かなあ。んんー。分解してファン掃除やメモリ交換もできなくはないけど、なんだかする気がおきない。。。労多くして何とか的な匂いがプンプンする。近くの修理ショップに持ち込もうかとも思ったけれど、うーん、意外に請求されたら、そこまでお金をかける意味があるかどうか。。。

気を取り直して、現在のnotePC win11環境でなんとかできないかを模索。そもそも、古いpcでできても、怖くてネット接続しないので、物理的メモリを介してデータをやりとりする予定。これまた面倒である。

まずは、Corel designerは最新版が30日体験DLできるのでしてみる。おおー。感動である。Designerでは、「ページ」という概念があって、illustratorには無いので、コンバートしてどうなるかなと思ったら、なんと丁寧にillustratorの同一画面に複数ページとしてできました。おー偉い。しかも、速い!。これは使える!なんとか30日以内に372ファイルをコンバートするかなあ。いや、そんなに使ったらすぐに使用上限があって買え買えってアナウンスがありそうだけれど、できるかな。Corel designerソフト欲しいけれど、買うと10万円超えはさすがに、メインソフトでもないしアカデミックでもないし。。。

そして、問題のLotusである。Lotusは現在会社も存在しないのだが、その「Lotus最終版をwin11で使えています」という情報もあった。が、ちょっと製品版を購入してインストールするのは怖いので、「エクセル2003」をヤフオクで買ってみることに。500円ぐらい笑。「win11でもoffice2003を使えます」という情報があるので、そこに賭けてみる。ライセンスキーはあるようだが、これがどうなっているのかがやや不安だが、まあやってみよう。もしもwin11上で稼働したら、エクセル2003上で.wj2は読み込めるので、何とかなりそうではある。

その昔、高い値段で買っていたoffice2003をあらためて、購入するってねえ。残しておけばよかった、といっても、なかなかそこまで未来は読めなかったなあ。

あ、もはや現在のnoteにCDドライブがないんで、どうインストールするかな。いやーこれまた面倒。。。


http://sekainookiku.jp/


授業でも江戸時代の糞尿リサイクルを紹介していたので、それが映画になったというので、見に行ってきた。

まあしかし、白黒とはいえ、すごい生理的な五感にうったえる映画でした。4Dとかでやったらどうだろう笑。なんでも、レビューをみると、途中で気持ち悪くなって中座するひとがいるとか。「ちゃぷちゃぷ」とか、「ドボン」「びちゃ」っていう音が脳内に白黒とはいえ、カラー化して投影プロジェクションするんでしょうなあ。

ただ、若い方々はべんつぼやらぼっとん便所を見たことなどはないだろうから、どこまで脳内再生がされるかは、どうなんでしょうかな。私はむしろインドでよく見たかなあ。

こういう映画を「五感にうったえる映画」とはまったく言わないんですね。ちなみに、「五感」は、「五感による至高の体験」といった感じで、プラスイメージでばかり使われているようです。ふむ。

この映画と共に、実際の糞尿を発酵させて肥料にしていく過程を実地することができれば、実は発酵するとそんなに臭くなくなるということも体験できるんじゃないかなあ。「臭い」というイメージだけが際限なく増幅するということになるかと。そこまで描いて欲しかったな。

あとは、できれば、おわい人の社会構造もあると良かったのに。2人だけで江戸中の糞尿を処理しているわけではなく、そこにはたくさんのおわいにんとその組合ヒエラルキーがあるので、そこもあるともうちょっと重厚な処理フローが見えたんじゃあ。まあ、エンタメとはあいいれなかったのかもですが。

衛生学の授業で、唾とか尿、便とか「なぜ身体の一部だったものが身体からいったん離れると汚く認識されるのか」という問いがあった。自己と他者との境界とはなにか。「便移植」って他者を受けれるってことか。ま、身体がどこまで自分のものなのかも怪しくはなってきているけれど。

おすすめのような、そうでもないような、まあ、五感に訴える映画ではあります。

近藤隆二郎(2023): 写し巡礼地における模倣と再創─写し巡礼地の保全に向けて─, 巡礼遍路研究, 8, 56-77

ということで、『巡礼遍路研究』8号が送られてきました。時系列的には、昨年6月に高野山で発表したものですが、その後10月に愛媛大で発表した論文がその後になるので、ちょっと引用関係が無い2論文ですが、どちらも出版されました。機会をいただきまして、ありがとうございます。

この論文にも論点として書いたのですが、全国写し巡礼地データベース化をしようと動いております。あれこれ、関係者・関係機関と連絡をとりつつ、今年からできれば動かしたいと思っています。なにせ、想定では、国内に4000ぐらいはあるのではと推定されるので、今から手がけないとと。巡礼研究者の先達先生方が何人も挫折してきたものを、参加型のプラットフォームでできないかと構想しています。

なにせ、私自身が欲しいのです笑。どこに行っても、写しはあるので、まわりたいのですが、行くたびにネットで調べたりしてふらふら行くということしかできず。今はネット情報がけっこうあるので、助かっていますが。できるだけ全国をまわりたい!。現在でも、写し八十八ヶ所をめぐっている数は、国内一?かどうかわかりませんが、各地の様式や様相をみてまわりたいなと思っています。とくに、山道にもあるので、体力があるうちに、できるだけ巡ってみたいなと。カラダでの体験。

国外には、ハワイ、台湾、中国、ブラジル(?未)、にあるようです。ハワイについても、論文一報を執筆しただけで、もうちょっと詰めたいですし、関連論文もけっこうでてきたので、さらに論考したいし、現地調査も長らく行けていないので、その後も気になります。ラワイ大師堂は元気かなあ。




さて、写し巡礼の単著を書くべく、過去の論考をならべて見ているのだが。。。いやはや、下記のように多種多様なものが写し巡礼関係でもあるのだが、昨年までなんと17年間も書いていなかったことになる。。。サボりすぎ。そして、初期のものをあらためて読むと、まあしっかり調査分析しているところや、論考が甘いところなどなど。手をいれていかねば。

なにより、工学系学会と社会学系学会や巡礼系学会などそれぞれに書いているので、トーンが違うところがある。理系的学会で巡礼を発表するとなると、やはりデータ分析や図表が多いので、どうにも分析的になるし、文系的な学会雑誌だと、論考が多くなる。

そのあたり、どうバランスをとって一冊にできるかなあ。ってことで、若き頃に傾倒していた上田篤先生の鎮守の杜書籍をとりよせてみる。阪大環境工の学科の先生でいらっしゃったので、授業も受けたりしたけれど、そのおもしろさにふれる前に別大学へいかれてしまったなあ。海辺の聖地とか、うーん、トーンを吹き込まれていたのかな。

写し巡礼関連研究論文一覧
①近藤隆二郎(2023): 写し巡礼地における模倣と再創─写し巡礼地の保全に向けて─, 巡礼遍路研究, 8, 56-77
②近藤隆二郎(2023): 写し巡礼における身体・空間・時間, 四国遍路と世界の巡礼, No.8, 14-25
③近藤隆二郎(2006): 写されたシナリオの正統性と更新,「コモンズをささえるしくみ-レジティマシーの環境社会学-」(宮内泰介編著),新曜社, 82-107.
④近藤隆二郎(2005): ハワイ日系人社会における写し巡礼地の成立と変遷, ランドスケープ研究, 68(5) 435-438
⑤近藤隆二郎(2003): 紀北の地域的巡礼地,「街道の日本史35-和歌山・高野山と紀ノ川-」(藤本清二郎・山陰加春夫編著),吉川弘文館, 206-219.
⑥近藤隆二郎(1999): コモンズとしての写し巡礼地, 環境社会学研究, 第5号, 104-120.
⑦近藤隆二郎(1999): バナーラスにおける水のゆくえ, 季刊文化遺産-特集インドの建築伝統-, 99.4, 59-61.
⑧近藤隆二郎(1998): 和歌山県下における地域的巡礼地の展開過程と空間構造,ランドスケープ研究 61(5), 465-470.
⑨近藤隆二郎(1997): 北播磨のミニチュア巡礼地の成立プロセス, ランドスケープ研究60(5), 561-566.
⑩近藤隆二郎・日下正基(1996): 番条八十八ヶ所のイエ結合にみるコミュニティの結合効果,ランドスケープ研究 59(5), 117­-120.
⑪近藤隆二郎(1995): 江戸における写し霊場の鑑賞構造,ランドスケープ研究 58(5), 161-­164.
⑫近藤隆二郎(1993):北播磨のミニチュア巡礼地における空間体験構造に関する研究, 造園雑誌 56(5), 247­-252.
⑬近藤隆二郎・盛岡通(1993): 集落の「共演空間」に関する研究-北播磨のミニチュア巡礼地-,環境システム研究, Vol.21, 249­-256.


今までの書籍は下記のような感じで、共著ばかりです。『自転車コミュニティビジネス』と『カオダス』は、全体としてかかわりましたが、あとは分担執筆という感じですね~。まあでも、オモシロガリストっていう姿勢がわかっちゃいますな。

愛媛大学の四国遍路・世界の巡礼研究センターで昨年10月に発表させていただいたものを、論文にさせていただきました。

近藤隆二郎(2023): 写し巡礼における身体・空間・時間, 四国遍路と世界の巡礼, No.8, pp14-25

昨年から、写し巡礼研究に本格的に復帰させていただき、巡礼遍路研究に一本(6月刊行予定)、巡礼研究センター紀要に一本執筆させていただきました。

本論は、リズムの写しという概念をやや総論的に論じたものですが、迷路瞑想空間としての写し巡礼の特徴は、ややもっと具体的にしてみたいなとは思っています。時間シークエンス分析は、もっとも研究していた時期もしてみようと試みた記憶があります。Excelに時間グラフをとってみたり+シークエンス記号化も試みました。残念ながらその記録がみつからなく、また、研究室整理時に8mmDVテープも廃棄してしまったので、往時の動画データがありません。んー。画像はデジタル化保存していましたが、動画もデジタル保存しておけばよかったです。まあ、時間距離比較はしているので、そのデータを元にしてピッチやリズムを出すことは可能なので、そこでしてみるか、あるいは再度フィールドからデータを起こすか。。。

このフィールド対象の選び方も、もはやここまで来ると悩むところです。慣れ親しんだ北播磨や和歌山を再度選ぶのか、あるいは身近な長崎を選ぶのか。あるいは、特徴的なフィールドあらためて選ぶのか。

まあ、栄螺堂、お砂踏み、ミニチュア と具体的な数値化をしてみると、比較としてオモシロイかもしれません。

とはいえ、長崎近辺の写し巡礼地の基礎調査もはいっていて、こちらもなんだか沼にはまりそうで、深い宗教文化史をあたまにいれています。オモシロいけれど、深いし、"踏絵の文化"とか、「踏む」ってなんだろう。「踏む」という語にひっっかかります。

2023年の4月3日~6日と、長崎四国八十八ヶ所めぐりへ参加させていただきました。長崎圏の写し巡礼も調査したいなと思って、とはいえ本格的にはサーベイせずに、ふとみかけたものを写真にとったりしていたのですが、今回はめぐりがあるというので参加してみました。

いつも孤独な調査で石仏をめぐっているので、集団でのおへんろは久しぶりです。ちゃんと毎日ご住職や先達さんがいて、般若心経から御詠歌、真言を唱えながらめぐるというのは、なかなか久しぶりで新鮮でした。ああ、声を出すって大切だなと。お接待も各所でいただきまして、ああ、ありがたいなと。この縁でまた来年出会いたいなとも。

また、巡礼ってそういえば信仰であったなとあらためて再認識をしました。4日間で八十八ヶ所をめぐるわけですが、けっこう毎日3万歩近く歩いたことになり、ところどころバスやタクシーも使ったりしましたけど、良い体感でした。また、個人の家内にある札所もあって、なかなか興味深かったです。

長崎という地をまた別のネットワークから体感することができて、見方がまたかわってきています。ご住職とお話させていただくなかで、神道、仏教、キリスト教といったものがからみあってきた歴史や、またその外部イメージなども。

そして、数カ所のミニチュア巡礼地たちも出会うことができました。長崎県下の巡礼一覧を研究されている人もいないようなので、リスト化もしていこうと考えています。五島や島四国もたくさんあるようですし、滋賀よりは多い印象があります。茂木八十八ヶ所が有名らしいですが、これまた秋から歩行会があるようなので、行ってみたいなとも。諫江八十八ヶ所はちょっと範囲が広くて、歩けるのか?という感じです。やはり、広く大きな範囲をもつものはそれなりに有名のようですが、ミニチュアは著名ではないので、なかなか知る人ぞ知る感じです。


そして、縁をいただき、昭和期の巡拝図をscanし印刷工程にのせて寄贈させていただきました。巡礼研究者としては、たいへんにありがたいです。この長崎四国八十八ヶ所も、開創年や札所移動など、まだまだ経緯がわからないところがあります。調べようとは思いますが、これまたはまっていくと際限ないなあと。

そして、念願の全国写し巡礼地データベースプロジェクトもとりかかることになりそうです。

ちょっと前になりますが、滋賀大で発表させていただきました。ちょっと懐かしい先生方とも。

そのスライドをあげておきます(一番下)。なんだかまだまだこなれていないのですね。で、オーロビンド哲学の理解という大きな壁は、うーんちょっと難解すぎるのと、あまりにもヨーガの素養基礎がないので、どうだろうかと。

結局は、組織論ふくめて、わたしたちが外部環境(右下)をいかに計画していくかということは、大学含めて追求して設置してきたわけですが、内部環境(左下)だったり、なんといっても自己内面(左上)については、放置されてきたわけでしょう。心理学や宗教、教育というものはあったけれど、では、どう人間関係をつくるか、どう自分を律するかといったことは、なおざりであったために、そこに資本主義的な「消費」や「経済」という指針が入ってきてしまっているのでしょう。

なんのために生きていますか?で答えられるだろうか。

そして、その後、アズワンコミュニティのサイエンズの考え方をあらためて、模索したりしています。あらためて、webをみると、ブラジルや韓国やスイスなど、むしろ海外にひろまっているようですね。20年も続いているのも、なんとも凄い実践です。海外からの方が有名ではないでしょうか。

オーロビンドやマザーによるインテグラルヨーガは、そのアシュラムやオーロヴィルで実践していくわけですが、サイエンズの場合は、内観方法や問い方といったもので、自己を知るというプログラムのようです。なぜそのような感情が生まれるのか、何が真実で、どうしてそういう気持ちになるのか。見栄やおそれ、怒りや他者承認、不安、といったものが感情を支配して人間関係をうまくいかなくいく。そのことを見つめようといったところでしょうか。

そういうつきあい方、社会の成り立ち方、を学ぶことなしに、鬱やメンタルダメージを受けると、クリニックやカウンセリングに行って、対処療法的な服薬などを受けますね。ただ、その元因となった人間関係や社会は変わらないし、相手もかわらないということで、自己にすべて帰着するのでしょうか。アズワンの場合は、「やさしい社会」ということで、集団としての自覚を実践されているようです。

大学にいた時代は、「まちづくりへの参加」や、「計画への実践組織」といったことをつくる現場にいたわけですが、うーん、外部環境ありきの人を押し込める感じであったなあと思います。それでは、なかなかまわるはずがないですね。

私的にひきよせてななめからみると、アズワンさんが鈴鹿市の総合計画や環境計画といった行政計画となんか関係があるのかなといやらしい見方をしたりしますが、おそらくは全く関係ないでしょうね(たぶん)。関係する必要が無い?し。

ちょっと理事としてかかわらせていただいているひろんた村も、新上五島町の計画とは関係まったくないようです。せめて、地域福祉計画には関係ないのかなとは思いますが、これも必要ないのかも。

ってことは、行政計画って、自分たちでできないひとたち=行政サービスがないと困るという人たちのためのものか。どんどんと暮らしから技術が外部化してしまって、そこに行政サービスや民間サービスが入ってくるということか。やはり、行政計画は地区計画のようになるべく小さい範囲にしないと、乖離してしまう。

ティール組織ではないけれど、なんだか、ものすごくシンプルでいいことを、遠回りして大きくしてなんだかむだにエネルギーが使われている気がしますなあ。


昨年からちょっと、Aurovilleの研究会に誘われており、放置していた過去史料資料などをふりかえりつつ考察しておりました。どうにも難解魑魅魍魎な対象であるのですが、ある方の講演より、「ティール組織」を導いたウィルバーがオーロビンドに影響を受けているとのことをお聞きしました。オーロビンド思想は、邦訳文も読んでみようとしましたが、なんとも難解であり、なかなか理解が難しい。

なので、2001年ぐらいに論文を書いたときは、あえてコアである思想はあまりふれずにおりました。今回は、そのものの理解というよりは、「ティール組織論」から「インテグラル心理学」を読み、そしてオーロビンド思想がどう反映されているかという逆コースをたどってみようとしています。

「ティール組織」は、気になってはいたものの、ちゃんと読んだのは今回でした。「非組織化」とも関連して、実際の企業や日本でもいくつか会社ができつつあるようなので、興味深かったです。上司のいない会社。給料も自分で決める会社。

そして、なにより、ウィルバー思想にふれました。「インテグラル心理学」は、なかなか読みやすい文章なのですが、概念と範囲が広大でものすごいなと。メタ理論なので。うーん。ちょっと昔言っていた、4logyとも関係しなくもないかなあ。そして、身体計画論といったとりくみや、環境意味論とも関係してきそうです。

いずれ、今までしてきた「まちづくり」「市民参画」といったフェーズをインテグラル四象限で考えたらどうなるかも整理してみたいと思っています。市民自身の成長という点を明示できるようになりそうではあります。

その向こうに、やっとオーロビンド思想が見えてきました。真髄はわかりませんが、こういったことを述べているのだということを、解釈されていることから把握はできそうです。ふと、書店にあった「インテグラル・ヨーガ」の本もさらっと読んでみました。日本ではヨガといえば、身体のヨガ(ハタ・ヨガ)ばかりですが、本来は精神のヨガも含めたものであるために、瞑想やインテグラルヨーガという考えですね。

ウィルバーモデルでは、マズローの段階モデルやハーバーマスなどもはいってきています。そういえば、マズローでもいう「自己実現」ってなんなんでしょうね。私たちはなんのために生きているのでしょう。

Aurovilleは、明らかにその答えをもとめての場所だったんですねえ。



恩師でもある末石冨太郎先生の「しみんけんきゅう」論文を再読。吹田市市民研究所をたちあげられた経緯などなど。なんども読んではいたのだが、あらためて。やはり、素人としての発想力や、学会や学者だけに閉ざされてはいけないという主張は今でも。ということは、変わっていないということかな。

とはいえ、ネット時代において、学会以外にも(むしろ学会の存在価値?)発表の場はあるので、しみんけんきゅうのアウトプットは自由になっている。フリーで読めない学会誌はほんとにその学会員だけに開かれているということか。

大学を離れると、「論文取り寄せ(複写サービス)」が不便になるのが困ったこと。まあ、私もしみんけんきゅういんな訳だが。大学図書館を通じて全国どこでも複写サービスを利用でき、論文や雑誌記事を取り寄せることができた(有料)。この複写サービスが、公立図書館を通じてするとなると、けっこう面倒くさい。できるのか?たぶん、保管図書館に対して郵送などで複写サービスを依頼しなければならない。。。大学図書館だと、こちらがリストをおくれば、複写手続きをしてくれていた。あー面倒くさいことしてくれていたんですね。怒濤の論文リストをがんがんと依頼したこともありました。ありがとうございます。

いやしかし、「既往研究のサーベイ」という、研究の初歩もたいへんな時代だなと思います。わたしたちの時代はまだネットがなく、アナログで先行研究をもとめていたのですが、どんどんと研究や関連書籍は爆発的に増えるので、同じテーマでも先行研究を追うのもたいへんですねえ。減ることはないのだし今は、近年に限るとか指導しているのだろうか。でも、古典にもヒントはあるので難しいところですね。

また、web上にあふれている言説にまどわされずに「問い」をたてられるのかということもたいへんそうです。昔は、wikiやweb にある情報は使うな ですみましたけれど、今はそうもいかないでしょうね。webの方が進んでいることもあるだろうし。。。

で、データサイエンスがはやっていますね。市民もデータを使えるようになると良いなと思います。「しみん向けのデータサイエンス」といったこともしていきますかね。ニーズあるかな。一方で、データのウソも意識しないと怖いですし。さらに、あるデータを利用するだけでなく、自分自身でデータを採取するといったことも知っておくとよいですね。データはオリジナルだと価値はあがるので。

データをいじる市民も必要だけれど、データを持っている市民もまた強いのでは。ああ、オリジナルデータもっているなら、研究者にも勝てる?し。