「自転車活用推進計画」×身体を

現在、長崎県内の自転車活用推進計画について調査ヒアリングしています。いったい、長崎県内ではどういった状況なのかというのを調べていて、もしもなにかお役に立てることがあればできればということで。調査が一段落したら、何らかの形でまとめようと思っています。

計画を策定済のところは、長崎県、南島原市、大村市、五島市で、今年度は新上五島町が策定中だと思われます。滋賀県彦根市で2002年6月に「自転車のまちづくり推進に関する提言書」を彦根エコ2自転車とまちづくり委員会の委員長として提出してからはや20年ですねえ。

その後、滋賀県の計画や土木学会の自転車委員会などかかわるなかで、国交省自体が動き出し、全国で自転車計画が策定されるようになっています。ちょっと現場から離れてみて、あらためて県内各地の自転車計画などをみたり聞いていると、あれこれ悩みが多そうです。

まずは、担当部署の問題です。国交省主導のなかで道路課、建設課がメインとなることがほとんどかな。政策部局があるところはそこがつくったうえで道路課におろすというかたちも。彦根市は交通部局、滋賀県は交通政策課でした。道路の処理が自転車走行空間において重要なのはもっともなことで、私たちが要望してきた車道への矢羽表記はゆるゆると増えてきつつありますね(長崎県内は少ない)。歩道内に自転車走行ラインを引くといったとんでもないことも無くなってきました。とはいえ、道路課さんですので、ソフトが弱いとはどこも悩んでおられます。

一方、もうひとつの盛り上がりは観光部局です。いわゆるサイクルツーリズムということで、サイクリングコースやマップづくり、プロモーション、観光レンタサイクルなどが目白押しです。インバウンドを見据えた方策でもありますね。

そして、この二つの間に埋もれがちではありますが、大切なのが生活における自転車利用で、警察、教育委員会、交通、環境、そして健康増進として保健福祉関係がかかわります。つまり、課を横断していく性格が多い計画になります。しかし、道路処理とツーリズムの山にくらべて、どうしても地味にルール遵守やマナー問題、自転車保険といったことは小さな取組にならざるをえません。むしろ自転車活用促進計画を策定する前からしていた事業が追加されていることが多いようですね。自転車安全教室やマナーキャンペーンなど。

こうなると、住民の方にとって、自身が乗っているママパパチャリと、この計画との関係が感じられなくなってきます。結局、外からやってくるサイクルジャージに身を固めたロードサイクリストのための計画であって、むしろびゅんびゅん飛ばすと危なくなるのではという意見もでてきます。また、驚くのは高校生でも今は親が送迎をするので、もはや自転車を載ったことが無い層がでてきているという事実です。高校卒業後にはすぐに車生活に入ってしまうので、そういう人にとっては、自転車は遠い存在になってしまいます。

やはり、各市町で自転車活用促進計画をたてていくときには、市民にとっての自転車生活はどういったものなのか、どうあってほしいのか、を描くことが大事であると思います。

わたしたちが「ビワイチ」を推進していったときも、ターゲットは女性と家族連れにしました。スポーツバイクの方たちはほうっておいても勝手に琵琶湖一周はしているので、むしろちょっと躊躇している方々にも安心してまわってもらうことで、自転車のすばらしさに気づいてほしいということで進めました。県外もですが、県民もぜひして欲しいということを考えました。そして、すこしでもマイカー利用が減ることを目指しました。滋賀県の政策でも、自転車クラブの創設や保育園送迎の自転車についての調査研究をしました。

車と比べると、自転車計画の難しさおもしろさがわかります。ヒトは車に乗るときは、車の性能に制御されてしまうので、交通計画や都市計画でも「車」という挙動がほぼ均一のものとして計画できます。ところが、ヒトが自転車に乗るときは、自分の身体の力や状況などでその挙動が大きく変わります。高齢の方が畑の手入れに農具を載せてゆっくりと走ることもあれば、前後ろに子どもを乗せたお母さん自転車もあるし、ものすごいスピードで走るロードバイクもすべて「自転車」です。だからこそ難しいのですが、一方、都市に飼い慣らされてしまいがちな私たちの暮らしにおいて、身体能力を発揮させて「自由に」都市に相対することができるのが自転車でもあるのです。

先進地の欧米などをみるにつけ、やはりそこには「歴史」と「文化」が必要であるように思います。もはや日本では自転車文化があるとは言い難いですが、そんな中でもその地方にしかない自転車の使い方や歴史があるはずです。島ならではの「釣り自転車」やおそば屋さんの出前自転車なども。スポーツ以外にも生活であれこれ使われている様子(パタン)をつかまえて、発信していくことが、市民にとって生活の中でこんなふうに自転車は使えるのだという共感につながっていくことになると思います。

私がなんども講演や原稿で言っていた「わざをまなぶ」という面での自転車の教育的な価値は、残念ながらどの計画にも見ることはありませんでした。子どもからはじめて自転車にのることで、バランス感覚や回転力に触れること、やがてパンク修理やハンドル交換などをすることで、工具やメカにふれていくという、自身で分解、組み立てができるモノとしての自転車の価値です。そういう意味では通学用自転車にはメンテナンスフリーにつくられすぎていてどうかなとも思いますが。

まだまだ整理してポイントを絞っていかねばですが、まずはこのあたりで。

しかし、昔の自分がつくった図表のデータが見つけられないのはなんとかならんかなあ。困ったもの。。。うぅ。


ryujirokondo's trajectory

このサイトは、独立研究者近藤隆二郎の研究や思考、 実践などについてご紹介するページです。

0コメント

  • 1000 / 1000