顔出し看板「考」リターンか?

いまだノートに慣れず。。。
さて、九州のある小学校先生からご連絡いただき、顔出し看板の作成プロジェクトを授業でされるとのこと。ほーなんと。顔出し看板はなかなかしぶとく息づいていますねえ。
ということがあって、ちょっとググったりAIに聞いたりしたり、世界のサイトを調べたりと。久しぶりに顔出し看板のことをひもといています。クーリッジのパテントについてはwikiにもどこにでも出るようになって、周知になっていますが、その後、エッフェル塔写真葉書から熱海の貫一お宮顔出し看板への間がわからないのです。

そこが謎なんですねえ。明治期に西洋からの顔出し看板、写真パネルに触れたことはわかっているのだけれどもそこから、昭和初期?の実際の観光地パネルまでがどうだったのか。無かったのか、誰かが立案したのか。

写真館でのパネルを顔出し看板の元祖的な位置づけにしたものか、いやいや穴から顔を出すのがはやり元祖だろうとか、あれこれ考えられますが。まだ決定的なものが見つからず。いやまだ探してはいないが。

両親のアルバムを整理してスキャンしていると、なんと私が幼稚園ぐらいで両親が顔出し看板を向ヶ丘遊園でしているものを発見!ってことは、55年ぐらい前だから、昭和45年ぐらいか。まあそのあたりは、個人のアルバムには登場しているだろうから、追える気はするのだが、しかし戦前や昭和初期、さらには明治大正期はどうだったのかが気になるところ。


いぢちさんと私の世代は第一世代とすれば、もう現在は第二世代、第三世代のような方々が顔ハメニスト?としてご活躍されているから、そこはもうお任せして、私はなんとかその時代を追って論考してみたいなと思ってはいます。

飽き性なので、思いつくけど頓挫するかも。。。とはいえ、論考をちょっとしたりした身としては、これまたちゃんと後片付けしたいなとも。国会図書館などでも記事を検索するけど、もちろん「顔出し看板」などという語は使われていないので、され、どういったものでヒットするのか、うーん、なかなか難である。

観光地の記念撮影というものからであろうか。写真館での撮影からであろうか。いったい誰が最初にあのコンパネ板に「穴」をあけたのであろうか。いや、板なのか。のれんとか布とかか?。意外にも像という立体だったかも。

まちづくりや商店街活性化にはもう当たり前のように使われているようなので、まあそこは置いといて、マニアの方が各地のものをアップしてくれているので、『カオダス』のときにwebでひろった画像分析をしたのが2006年ぐらいなので、現在だと20年後かな。画像分析をかけて、20年でどうかわったかもできるかもだけど、まあ、データ解析してもあまり面白くないから、カテゴリーを出すぐらいだろうかな。この画像分析はまあどうとでもできるから置いておこう。

とりあえず歴史である。歳を取ると歴史に目が向くのである。『カオダス』にも論考をちょっと書いているけれど、ややあいまいで書いていないこともあるし、海外展開史も見えてきてはいるので、そのあたりで本にするかなあ。エジプトの事例は知らなかった。今度は新書がいいだろうなあ。

ちなみに、顔出し看板についても学会論文にチャレンジしようかなとしたこともあったのだけれど、あまりに突飛なので頓挫したことも。造園学会という景観史に入れようとしたけど、今おもえば、商店関係や広告史というものの方がよかったのかも。そう、「広告」でもある。で、学会出すこともないので、これまた期限がないんだけれど、巡礼本が出せたので(とはいえその後プロジェクトもあるのだが)、こちらに挑んでみるかなあ。

※余談だけれど、NKH朝の番組に静止画で出演したビデオを見直していたら、そのときのアナウンサーがアサイチの鈴木アナだったんですね。

ryujirokondo's trajectory

このサイトは、独立研究者近藤隆二郎の研究や思考、 実践などについてご紹介するページです。

0コメント

  • 1000 / 1000