環境配慮のまちづくり一身・知・心一

パタン・ランゲージとまちづくりというものを、わかりやすく?短く投稿した記事もあったので、貼り付けておきます。最初の図はサイクルパタン・ランゲージ(コミュニティビジネス版)です。自著に使ったモノです。「図解」っていうのはどういうツールでしょうかねえ。ごまかし図もあるし、曼荼羅図のようなものもある。絵図も。

近藤隆二郎(2013): 環境配慮のまちづくり-身・知・心-(淡海環境保全財団20周年記念寄稿),明日の淡海,2013.5,24-26

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なんだか、昔の論考をひっぱりだして読んでみると、議員としての活動と思うところ多々あるというものですね。また、小値賀島というちいさな島でこそできることもありそうだ、ということにも思い至ります。一方、「論文」という言説空間に閉ざされてしまうので、論文や専門用語に慣れない方にとってはちんぷんかんぷんで、身体性からは乖離。戦略としての言語ではあるものの、その世界で生きてきた身としては依存してしまうところもあり。内省。

原稿があったので、図表もカラーなのでこちらも載せておきましょう。


環境配慮のまちづくり-身・知・心-

 「環境」や「まちづくり」という言葉は、心地よく、口にしやすい言葉である。あいまいさも持つため、ふわふわした印象がある。実際のところ、それほど緊急的に必死に取り組まなくても、とくに今日明日問題があるものではない。”ゆでがえる”と称されるようにじわじわ進む特徴のある環境問題は、他人事的になりがちである。言ってしまえば、私たちにとって地球とは「他人事」なのだ。3.11後に熱湯をかけられて一時的に「自分事」になった期間があったけれど、徐々にまたぬるま湯につかっている印象がある。このままの暮らしではいけないような感じがするが、情報が膨大にぶちまけられており、何を選びどうしたらよいのかがわからない=「知りたくない」を招いてしまう。

 そこで、「自分事」にするチャンネルを考えてみよう。結論から先に言えば、わたしという主体を中心に据えることからはじめよう。まずはわたしという主体を「身」「知」「心」に分節化する(図1)。「身」は行為の側面を、「知」はアイデアの側面を、「心」は価値の側面と考える。さらに,この側面の接点を考えていくと,「立(plan)」→「動(do)」→「意(check)」というサイクルを描くことができる[1)近藤隆二郎、2007,市民調査から市民計画へ、環境社会学研究第13号:48-70.])。「意識は高いが行動が低い」といった問題を乗り越える枠組みであり、いかにまちづくりという運動に「わたし」をリンクしていくかというチャンネルである。

図1 身・知・心と計画づくり


(1)【身】身体からの発想へ-時間-

 まちづくりは、議論やワークショップをすることだけを意味しない。参加は脳だけでなく、身体もそこにあるのだ。「食」の事例を紹介しよう。

 「穀物菜食(マクロビオティック)」とは、穀物を食事の基本とし、動物性食品を採らない食事法である。肉を消費しないため、地球環境問題の解決に寄与する可能性は高い。ところが、穀物菜食者へアンケート調査を実施したところ、決して地球環境問題を考えて取り組んでいるわけではないことがわかった[2)近藤隆二郎・石井直子, 2000, 穀物菜食者におけるライフスタイルと環境意識とのつながりに関する研究―穀物菜食団体『蒼玄』を事例として―, 環境システム研究論文集 Vol.28, pp303-312])。一例を紹介しよう。「自分の場合、地球環境を考えてというよりも、自分の身心の向上の為に穀物菜食と半断食を続けています。まず身体が健康になり、精神が健康になり、感性が磨かれていく。おのずと悪い物や不自然なものには触れたくなくなり、美しい物や自然な物をいつのまにか欲し、選んでいる。結局はこんな一人一人の小さな変化が、大きな変化につながるのでしょうか。」(30代・女性)

 この意見にある環境意識は、自然を外側から見ている(allonomy)のではなく、内側から見ている(autonomy)と言えよう。図2の下図は、「地球にやさしい」といった地球を起点として身近なレベルへと思い至る、従来の環境啓蒙的な認識プロセス(“地球にやさしい”モデル)であり、自己の身体と環境の結びつきは希薄化し、曖昧となってしまう。一方、上図は、自己と身体の関係を起点として、そこから徐々に地域、地球と波紋状につながりが広がっていく認識プロセス(“身体にやさしい”モデル)である。環境を守らなくてはならないと理解するのは容易であるが、行動に移すとなると、ただ頭で理解しているだけではなく、親“身”に感じることが必要である。“頭でわかる”のではなく、“身体でわかる”ことが波紋の原点としては重要である。

図2 「身体にやさしい」モデルと「地球にやさしい」モデル

 食以外でも、例えば交通問題も、いくら声高にマイカーから自転車へと叫んでも振り向かれないが、自転車の楽しさや魅力=身体でわかることを体感することからやがて変わっていくのである。図3は、身体と自転車との成長プロセスを描いたものである。子どもの頃から自転車に乗り親しんでいくことで、徐々に乗りこなすわざやマナー・ルールといった社会や環境を学ぶという流れである。

図3 身体と自転車との関係の成長プロセス


(2)【知】パタンランゲージという多様性を-空間-

 環境まちづくりとしては、環境基本計画や環境モデル都市構想などが思い浮かぶかもしれない。そこには、いかにCO2を減らして住みやすいまちにするかという施策が並んでいる。ただ、こういったプランのほとんどが、まず全体コンセプトを示した上で、行政、企業、市民など主体別に分けた施策が羅列されている。ただ、こういう構想は「わたし」にどう伝わるのだろうか。

 環境に配慮した暮らしや工夫を本気で実践するならば、その技術を自身で学ばなければならない。「計画に決められているからマイバック持ちます」「環境にいいらしいのでなるべく自転車に乗ります」という受動的な行動では、まずは長く続かない。前述のように、身体からなじませていかなければならないのだ。つまり、いろいろな作法や技術を多彩に学ぶことで、創発的に学び実践していくプロセスが大事である。エコ・オーガニックペンションである『舎爐夢ヒュッテ』のとり組みも、絶え間ない創意工夫が重要であることがわかる[3)近藤隆二郎・仁賀崇之、2006:「舎爐夢ヒュッテ」におけるホスピタリティに関する研究-エコセンターとしてのペンションの可能性-, HOSPITALITY第13号:39-50.])。小さな体感によって結果を感じることでさらに次の段階に進むことができる。計画が先ではなくて、学習が先なのだ。

 ところが、環境学習には、子どもが自然観察をするといった狭いイメージがあることも困ったものである。環境まちづくりとは、言ってしまえば生き様であり、科目として学ぶだけではなく、また子ども時代だけに終わるものでもない。石油危機を都市の有機農業などで必死に乗り切ったキューバで言えば、誰もが学校で有機農業をしっかりと実践的に段階的学ぶ。それは食べるためでもあるし、生きる術としての環境学習でもある。生活は「便利」になることで、どんどんと技術スキルのパタンが身の回りから無くなってきている。便利になることで学ぶ機会は失われるのだ。であるならば、対象としてのまちという現場へのかかわり(実践)をいかに共有していくかが鍵となる。計画という抽象的な指針を超えて、そこに具体的なかかわり方を導き、体験していかねばならない。

 そこで、身体が地域にどうかかわるか、「身体で覚える」という学習プロセス、その身体パタンを積み重ねることを提起したい。身体知に再度戻らなければならない。C・アレグザンダーによる「パタン・ランゲージ」[4)アレグザンダーは『パタン・ランゲージ』(1977年、邦訳1984年)において、世界各地の都市や建築を見て歩いた経験より、人々が「心地よい」と感じる環境(都市、建築)を分析して、253のパターンを挙げた。一つ一つのパタンには、環境にくりかえし出現する課題とこの課題を解決するのに必要な経験的手法が書かれて整理されている。パタンが集まり、それらの関連の中で環境が形づくられるとされている。各パタンには名前がつけられ、都市全体にかかわるような「大きなパタン」から個室のインテリアにかかわるような「小さなパタン」まで順番に並べられている。パタンの例としては「小さな人だまり」「座れる階段」「街路を見下ろすバルコニー」などがあり、これらは家を建てたり、まちづくりのルールを決める際に役立つヒントにもなっている。日本にもパタン・ランゲージの発想が紹介され、埼玉県川越市一番街商店街や神奈川県真鶴町などで取り入れられている。なお、ソフトウェア開発などにも広く影響を与えている。])が参考になる。そこには、まち(空間)と身体との関係のパタンが253事例提示されている。関連が強い他のパタン群が述べられており、各パタンごとに使いやすく整理されている。このような蓄積があると、計画も考えやすい。身体パタンのデータベースと計画に基づく新しい身体パタンとがどう関係するか、どう体得されていくかによって、実効性が左右される計画となる。アレグザンダーは、この253パタンは単なる原型的なものであり、健全な社会には、たとえ共有され、類似していても、人間の数だけパタン・ランゲージが存在すると述べている。つまり、猟師や漁師といった生業にかかわる身体パタンや子どものパタンといったものをストックしていくことが必要ではないか。学習パタンの実践(井庭崇)[5)http://learningpatterns.sfc.keio.ac.jp/])やエコタウン・ランゲージ(高橋恒)[6)http://home.q02.itscom.net/ko-taka/ecolan/guide.html])はその流れである。大事なのは、これらのパタンを選択して接着し、組み上げるのは「わたし」であるということ。最初から計画書があってそこにある具体的パタンがあるのは、封建的であり、私たちは言われたことをするだけの動物である。

 交通問題でも、より生活の中で交通をとらえることが必要であり、そこで図4のように、自転車パタンランゲージをつくっている[7)近藤隆二郎編著、2013、自転車コミュニティビジネス、学芸出版社])。

図4 自転車パタンランゲージ2013


(3)【心】ものがたりはそれぞれがつくりあげるー未来予想絵図へー

 身体を軸としながらも、さまざまなパタンについて組み上げていくという段階になると、このくみあげたパタンランゲージをひとつの「ものがたり」として語ることが大事である。ものがたりという表現に求められるのは、①ロマン(理想)とステップ(段階)を明記、②わかりやすさ(表現)、③わたしとの関係が見える(描き換えやすさ)の3点にまとめることができる。

 描き替えやすさとは、大塚が「杜撰」と呼び、金子らが「弱さ(fragility)」と呼ぶように、ものがたりは完全緻密ではなく、シンプルで未完成なもの、つまりはかかわる主体がそこに「つけいる」隙があり、自分たちで物語を加えることができるものが求められる。逆に言えば、息づくためのものがたりは、あらっぽく杜撰なものであっても、そこにいかにかかわるのかという具体的で身近な関係性をつくり出すことができるものでなければならないのである。完璧な物語ではなく、多くの人びとがそれぞれの身近なかかわりあいからそれぞれの物語を描き出せるような“あら“と"勢い"とが求められる。

 それぞれのものがたりの語り方は、その人なりの表現がある。未来をみんなで描くものがたりとして、「未来予想絵図」を最後に紹介しておこう。未来予想絵図は、参加者の持つ将来像を集約して絵図にするという手法である。ひとりひとり(あるいは団体)のものがたりを重ねてのりしろを共有していくことができるツールでもある。図5は自転車を中心として描かれた未来予想絵図である。身体を軸としてさまざまなパタンをつなげてものがたりをつくり続け、語り続けるということが、わたしを中心とした決して他人事にならない環境配慮のまちづくりのプロセスとして考えることができるのではないだろうか。

「未来絵図に完成はないのです。

『自分だったらこんな未来を描き足したい』、『この絵図には○○が足りないじゃないか』

この絵図を見たあなたが、自分の望む未来を思い描き、絵図にそれを描き足すことで、

この絵図は、またひとつの新しい未来を得て、パワーアップするのです。

あなたが描く未来を、是非この未来予想絵図に描いてください。」

8)[五環生活作、2010、びわ湖・まるエコ・DAY2009未来予想絵図])


図5 自転車を中心とした未来予想絵図(2011五環生活作製)


1)近藤隆二郎、2007,市民調査から市民計画へ、環境社会学研究第13号:48-70.

2)近藤隆二郎・石井直子, 2000, 穀物菜食者におけるライフスタイルと環境意識とのつながりに関する研究―穀物菜食団体『蒼玄』を事例として―, 環境システム研究論文集 Vol.28, pp303-312

3)近藤隆二郎・仁賀崇之、2006:「舎爐夢ヒュッテ」におけるホスピタリティに関する研究-エコセンターとしてのペンションの可能性-, HOSPITALITY第13号:39-50.

4)アレグザンダーは『パタン・ランゲージ』(1977年、邦訳1984年)において、世界各地の都市や建築を見て歩いた経験より、人々が「心地よい」と感じる環境(都市、建築)を分析して、253のパターンを挙げた。一つ一つのパタンには、環境にくりかえし出現する課題とこの課題を解決するのに必要な経験的手法が書かれて整理されている。パタンが集まり、それらの関連の中で環境が形づくられるとされている。各パタンには名前がつけられ、都市全体にかかわるような「大きなパタン」から個室のインテリアにかかわるような「小さなパタン」まで順番に並べられている。パタンの例としては「小さな人だまり」「座れる階段」「街路を見下ろすバルコニー」などがあり、これらは家を建てたり、まちづくりのルールを決める際に役立つヒントにもなっている。日本にもパタン・ランゲージの発想が紹介され、埼玉県川越市一番街商店街や神奈川県真鶴町などで取り入れられている。なお、ソフトウェア開発などにも広く影響を与えている。

5)http://learningpatterns.sfc.keio.ac.jp/

6)http://home.q02.itscom.net/ko-taka/ecolan/guide.html

7)近藤隆二郎編著、2013、自転車コミュニティビジネス、学芸出版社

8)五環生活作、2010、びわ湖・まるエコ・DAY2009未来予想絵図

ryujirokondo's trajectory

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